- まずはじめに、大成武舘の上には古くから在籍する弟子を含め
- 此度の大成武舘の運営に快くご尽力ご協力くださることに心より感謝を申し上げます。
もとより、私がこうして17年の長きにわたり道場を続けることができたのも
多くの方々が非力なる私を支えて下さり、心よりご協力頂いた賜物であると感謝しております。
その上で、あらためて私が思う大成武舘という道場の役割について
ごあいさつかたがた少しお話させていただきたいと思います。
<道場とは人を育てる「土壌」>
ひとえに「道場」とはあたかも農作物を育てる「土壌」のような大地の役割だと思うのです。
例えば花、野菜、米など同じ種を蒔いても畑によって出来不出来があります。
土壌は地味な役割ですが、この土壌が大事なのです。
それに加えて、水、光、温度加減など様々な要因が絡まって美しい花を咲かせたり
、おいしい野菜、お米が出来るのはご承知の通りです。
水、肥料を与えすぎても出来不出来に大きくかかわってくるというのも
理解できます。
バランス加減がかように大事です。
家庭に置き換えれば、父親が叱ってばかりでも母親が子供の言いなり通りに
甘え続けさせれば結果、子供はどう育つかは想像がつくことでしょう。
そして、道場としての「箱」のメンテナンスも肝要です。
様々な人間の集合体としての「道場」となると、ここに関わる方々が皆、
根幹の部分で共通した価値観を持ち続け維持継続することが大切になるでしょう。
<指導者は教育者として>
話は変わってクマ蝉はご存知でしょうか?
ここ数年の異常気象によりクマ蝉の大発生がありました。
クマ蝉は蝉の王様ともいうイメージがありますが、昔は柄の長い棒で捕らえようとしても
、もう少しのところで逃げられたものです。
しかし伝え聞いたところ、ここ数年は素手でも簡単に捕まえられるようになったみたいです。
まったくもってクマ蝉の持つ野性味をなくなってしまったみたいですね。
近頃のこどもと似ているかも知れません。
30年間、空手を通して多くの子供たちに接してきましたが、
この肌で感じる明らかな異変に私は危機感を抱いています。
現代の子供たちは本能の部分を弱くしているのではないか?
極端に申せば野性味をなくしているとも言えるでしょう。
表面的にはサッカーなど国際的なトップアスリートが増えて
彼らの活躍は喜ばしいことです。
だが視点を変えて見ると、以前に比べ明らかに青少年は生きる力を弱くしいるような気がします。
クマ蝉は数を増やして野性味を失い、日本は子供の数を減らして
生きる力を弱めさせている思いがします。
我々、特に少年部の現場にいる者は、ここに着目し改善に努める責務があることを
自覚しなければならないでしょう。
武道しかりスポーツ指導者はサービス業でなく教育者だからです。
我々は技術屋のみを標榜する職人とも違います。
とりとめもない話になりましたが、連日新聞を賑わす子供たちが起こす事件、親が子を殺し子が
親を殺す 凄惨な悲劇は家族崩壊から端を発すると申しても過言ではないでしょう。
目を覆いたくなる事件を他人事でなく、我々がまずは吾が事と思うことから始まります。
家族崩壊が叫ばれる現代の世相において、
大成武舘としましては、「家族の絆」の尊さを大いに伝えていきたいと意を強くする次第です。
大成武館の「大成」とは道場を通して、人として大きく成長して頂きたい、
また道場での様々な方々との出会いを通じて新たな縁が生じることもあるでしょう。
その武縁を大切に各会員が成長できる場を提供させていただくという願いが込められています。
どうか今後とも大成武舘を皆様のお力で末永く育ててくださるよう、
何卒宜しくお願い申し上げます。
平成23年1月2日 大成武舘 館長
-
- 兵庫県神戸市出身。
幼少の頃より武術を好み、学生時代は柔道、空手に打ち込む。
阪神大震災を契機として滋賀県に移住。滋賀県東近江市(当時八日市市)にて1995年に
空手道場を設立。
以後、10数年間に渡り道場の普及拡大し、後進の指導・育成に邁進する。
更なる自身の武術の向上について模索しているとき、一人の武術家に出会い感銘を受ける。
スポーツ競技だけではない本物だけがもつ武術の深遠を体験し大きな影響を受ける。
その後、師の教えに従い親しく薫陶を受けて自身の信じる拳の道を歩む。
過去20数年のこれまでの武道経験を生かしたカリキュラムと理念を確立して大成武舘を設立。
現在、滋賀県はもとより、西日本各地などで指導と普及に力を注ぐ
- 当武舘は、大成空手の発展、研究、普及を行い、大成空手を通して青少年の健全育成、
いきがいづくりなど地域社会へ貢献することを目的に活動しています。
- 目的を達成するために下記の下記の事業を行います。
- 1.大成空手の学習活動
- 2.大成空手の普及活動
- 3.大成空手に関する研究
- 4.大成空手の指導者の養成と資質向上
- 5.大成空手の段級位審査と付与
- 6.交流大会や親睦会の企画・運営
- 7.社会貢献活動の取り組み
- 8.その他、当武舘の目的達成に必要な事業
- • 総本部
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館 長 |
宗 之雄 |
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育成部長 |
木村竜士 |
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健康増進部長 |
介田 圭 |
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事務局長 |
本田 洋 |
- • 育成部
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部 長 |
木村竜士 |
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部長補佐 |
前田拳斗、中島鈴、廣田和英、高橋和典 |
- • 健康増進部
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- • 支部
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京都綾部支部長 |
芦田吉道 |
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京都福知山支部長 |
沢田 征 |
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京都精華支部長 |
岡本賢治 |
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神戸北支部長 |
芦田吉道 |
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宮崎支部長 |
尻枝和明 |
大成武舘
フィロソフィー
古来、変わらぬ太陽の恵み。月日の運行。自然界のルール。
それぞれの持場立場はあるが足りないところを補い合って 助け合うこと。すべてがつながっている
こと。相反するもの全てがひとつ。大自然の絶対的な力。その大自然の中に我々人間が協調しながら
生きている。
大自然の懐で我々は生きている謙虚な慎みの気持ち。
この世界に存在する全ての事物が、必ず「対」になる何かと相互依存しながら、
存在していることを表現しています。
天と地、日と月、昼と夜、男性と女性、など世の中にある存在は「対立」しているように見えても
実際は、一方の存在がなくては成り立たない物事をも示しています。
事物を広い視野で見た「調和」を、この図が表しているのです。
仏教などでは、西洋哲学の「唯物論」である「有るの反対は無く、無いの反対は有る」
という物質的世界を超越した把握できない存在。(例えば、ラジオの電波などは有るけど見えません)
その世界を「空(くう)」と呼んでいます。
見えない世界。見えないけれども確かに存在しているもの。
人の生命もそうです。
臓器・肉体があるから生きていますが、命はそういった物体だけでは
語りきれないように思えます。
そういった意味で、生命がなければ人間や生物はロボットや蝋人形のようなものかもしれません。
「空手」の「空」の本来の語源は
【空
(くう)】です。これは仏教用語ですが「有るのに無い、
無いのに有る」という空間次元を超えた発想で、悟りの境地を意味しています。
「空=悟り」の境地としますと、「空=自然界のルール=宇宙の法則」となります。
人間の体内の成分を分解すると全て原子物質となり、それは宇宙を構成している原子と同じです。
よって宇宙を大宇宙とすると、我々人間は小宇宙といえます。つまり宇宙の一部であります。
そのような観点に立つと、私たち人間、自然、すべての生き物はすべて平等であり、つながっていて、
人間を傷つけると、自然を傷つけることになり、自然を傷つけると、それは人間を傷つける事と同じ
です。全ての生命が依存しあって、お互いに支えあって宇宙が成り立っています。
その発想は「人間は一人では生きてはいけない」という謙虚な気持ちを生み出してくれます。
「慎みの心・他者を愛する心・自然を愛し、すべてに感謝する心」
そういった心を持つ人間が一人でも多くいれば、
争いや戦争の無いより良い世の中を創造していくことができます。
このような哲学を空手という武道・自己鍛錬によって広め、
子供だけでなく大人もまた人間として成長して
「大成」していって欲しい。
そして
その活動を通じて社会貢献していきたいというのが大成武舘の願いです。
大成武舘のロゴは上述したテーマと同時に「六角形」の形に則りデザインされております。
六角形は
「氷・水の結晶」などの形とも云えるでしょう。
また宇宙、大自然の働きをパワーと置き換えました時に、物質的な面ではなく
「空間=スペース」として、一つ一つが大自然における十全の「働き」を空間としてデザインしました。
その上で次に空手の「空」を定義しています。
有るのに無い、無いのに有るという空ですが、そうなると白紙になってしまいますので、
あえて立方体でそれを表現することで空間に置き換えています。
立方体を上斜め前方から見ますと、六角形が見えてきます。
目の錯覚で起きることですが、この中心にある3つの面は、上から見ると物体として認識が可能ですが、
下から見ると、まるで空間の中に溶け込んでいるようにも見えます。
この現象により空手の【空】を表現しています。
そしてその3つの面により
「感謝」「慎み」「たすけあい」を示唆しています。
その3つの「感謝」「慎み」「たすけあい」を大切に取り囲むように「2つの手=手のひら」が配置されています。
大成武舘につながる会員にはこの3つの気持ちを忘れることないように
両手でしっかり持ってもらいたいという願いがデザインされています。これで【空手】です。
マークの印象は、右と左、上と下、斜め上下左右とも全てが【対】になっており、
相反するもの、対立しているように見えても、対になる何かと相互依存しながら【調和】を図り、
自然界のすべての存在が成り立っているという大成武館の哲学が反映されています。